秋めく。

「失われた夏休み」を取り戻すべく?人びととまったりお酒を飲んだり、しょーもない話にけらけらと笑ったり、からりと乾いた風の中を散歩したり、美味しいものに悶絶したり、素敵な贈り物をいただいたりしながら、日々を送っておりました。なんだかんだいってヒトに恵まれているなあ、とつくづく思える瞬間が訪れるから、生きていけるのであって。


友人から結婚式の「書き物」を依頼され、こういうの2度目だわー、と思う。スピーチするよりは書く方が自分には向いてるかも。あるいは周囲が既にそれを察しているのかも。


ということで以下がかつて親友の結婚式brouchureのために書いたエッセイ。何も考えずさあーっと書きあげたけれど、伝えたいことは込められたという、私にとって稀有な文章のひとつ。一応彼女の名前は伏せて。

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『そして花嫁は旅を続ける』


 それが久々の再会であれ何であれ、出会えばいつも私たちは、(愛すべき意味での)バカバカしい遊びを繰りひろげていた。冬の稲毛海岸に出かけて砂浜に落書きをしたり、Y駅に貼られていた金城武の巨大ポスターがどうしても欲しいというので協力して頂戴したり(もう時効でしょう)…挙げればきりがない。それは息が切れるほど散々遊んで泥だらけになって、もう夕暮れだから家に帰らなくちゃ、またあした遊ぼうね、じゃあね、といって駆け出していく小学生のようだった。Sと過ごしてきた時間は、そんなことの繰り返しだったような気がする。その光景を想うとどれもちょっと刹那的で、ほんのりと淡い色彩を帯びていて、まるで旅の景色みたいだ、とも思う。


 たしかに、Sとは何度か旅をした。けれど彼女との時間がいつも旅のようなイメージを伴うのは、おそらく彼女の中に(そして私の中にも)流れる旅人の血のようなものに依るんだろう。旅することが半ば仕事になりつつある私にとって旅の極意とは「ハプニングを楽しむ」ことに尽きるのだけれど、彼女のバイタリティーはまさに、あらゆる出来事を楽しみに変えてしまう。


 天性の旅人である花嫁には、世界中へ出かけていくその軽やかな足取りと、強引な物売りをも論破してしまうたくましさと、旅を臨機応変にオーガナイズする才覚、そしてなにより、ハプニングさえも含むすべてを貪欲に楽しもうとする強い意思がある。そんな彼女が一緒に歩んでいくパートナーを見つけたというのだから、それはとても素敵なことだ。旅にパートナーを伴うことのメリットはいくつもあるけれど、カメラにも収められない、絵葉書にも書ききれない、そんな数々の瞬間を共に記憶していく幸せは何物にも代えがたい。


 そして旅は続いていく。あの2人のことだ、きっとこれからも、胸躍る瞬間を創りながら、日々を楽しんでいくのだろう。ご結婚おめでとう。