アグレッシヴな知

snowin' snowin' snowin' の一日。


これだけ寒い環境に身を置いたのが数年ぶりで、身体が適応できない…、と思っていたのですが、以前日本で暮らしていた時も冬になれば決まって「冬眠したい…(遠い目)」とつぶやいていた自分を思い出しました。なんだ、変わってないじゃん。


さて今日は、教育についての雑感。
私の最近の副業では「大学生や社会人」が生徒さんであり、留学のためのTOEFL受験や大学院入試対策のお手伝いをするのが仕事。


もちろん、ちびっこを教えていたときに比べると私自身も学ぶところが多く、そもそも先生業自体はとても好きだ。ただ「大人を教える」ということについての難しさがつきまとう。例えばどの程度彼らの人生の判断に口を挟んでいいのか、大人の彼らの選択にどこまで介入していいのか、しばしば迷う。


「とりあえず留学すればなんとかなるだろう」
「とりあえず大学院に行けばなんとかなるだろう」
と思っている人がうじゃうじゃいる。


そういう人たちに、どうしてその学校に行きたいの?何を勉強したいの?と聞いても、あまりまともな回答は得られない。漠然と「将来に役立つ」と思っていたり「今はやりたい仕事が見つからないから」と、モラトリアムの時間を欲していたりする。どれだけ話を聞いても、具体的なビジョンは見えてこない。


別に最短距離で人生を歩め、と言いたいわけではない(というかそもそも、寄り道重視の人生を送る私にそんなことを言う権利もない)。ただ彼らの学びへの意志があまりにも漠然としていて脆弱で、傍からみていると???となってしまうのだ。


しかも今後、海外や大学院で学ぶために勉強しているというのに、とりあえず「最小限の勉強」で楽に突破しようという意図がみえみえ。知識欲とは程遠く、消極的な、受動的な選択としての進学を選んでいるようにしか見えない。


とにかく受動的にお勉強をして目の前の試験を受けて…、なんて、大人がすることではないと私は思う。漫然と学校に行くなんて時間とエネルギーがもったいないし、しぶしぶ机の前に座っている時間は「自分探し」とやらにも寄与しないだろう。


最近も、京大が「国際的なリーダー」育成と称して全寮制大学院を創設するというニュースを見て、失望そして失笑した。


国家を牽引するような革新的な「リーダー」を「育てる」ということの、根本的な矛盾に気づかない、というのがまずイタイ。大学院レベルで素直に与えられた教育(悪意をこめて言うなら馴化)を受け続けるような良い子ちゃんは官僚的な人間にはなれど、カリスマ的な指導者になるはずがない。自由を謳う京大がそんなことを言い始めるなんて、どこで道を踏み誤ったのか。


教育者としての私の仕事は皆さんを先導することではなく、少しでも快適に歩めるようその背中を押すことである。悩み苦しんで歩むべき方向を決めるのは、あなた自身なのだ。