ひよっこのはちがつ

嗚呼、8月が終わる。


締め切り仕事がみっしり詰まっていた月だったので、7月の時点から既に、「8月が60日くらいあったらいいのにね…」などと周囲に呟いていたひよっこ。夏休み、長くなあれ!という小学生レベルの発想がいつまでも抜けない。


そして夏休みの日記や宿題を全部まとめてやっていたあの頃のように、


漢字の部首だけをまとめて書きまくったり、新聞を引っ張りだして夏休み期間の天気を一気に調べたり、友達の数学のノートを片っ端から写したり、ついには提出物を催促されてもしらばっくれていたあの頃のように(不真面目な記憶ばかりが引っぱりだされてくるなあ)、


思いだせる範囲で8月のできごとをまとめて記しておく。そんな、成長しない自分に苦笑しつつ、振りかえる8月。


【8月某日:なしの味】
講師バイトが多忙すぎてくらくらする。そこに追い打ちをかけるように、大学生たちが添削を依頼してくる、自由奔放すぎる(つまり支離滅裂な)日本語を読んでくらくらする。

そんななかで教え子の一人、中学生男子がガリガリ君(梨味)を保冷剤に包んで持ってきてくれる。値段にしたらなんてことないものだけど、わざわざ炎天下の中を溶けないように1本のアイスを持ってきてくれた優しさが嬉しい。
贈り物の価値、ってそういうことなんだ、結局。

ここまでは美談だったけれど、数年ぶり(数10年ぶり?)に食べてみたガリガリ君は文字通りガリガリと固くて、ひよっこは歯茎から出血し、半分で挫折した(残り半分も後からいただきました)。やっぱりあれは中学生男子の食べ物だな、と再認識する。


【8月16日:弔い】
酷暑といえども、送り火の京都の街は観光客で賑わっている。一方で私は、お盆明けに提出する論文があったので、帰省も旅行もままならず、その夜もオフィスにかんづめしていた。

部屋の近くからは大文字がよく見えた。ぼんやりと闇の中に浮かび上がる文字を眺めながら、これを見るのは何度目だろう?とおぼろげな記憶をたどる。

そして今は亡き大切な人びとの顔を順々に思い浮かべつつ、合掌。
記憶に呼び戻すことが一番の弔い、ということを教えてくれたのは、フィールドの人びとだったかもしれない。


【8月某日:stressed out】
本屋に彷徨いこんだら耐えきれなくなって、気づけば小説を5冊ぐらい買っていた。仕事続きで気持ちのネジが飛びそうになっていることを自覚。この小説だけ抱えて旅に出たいと、痛切に願う(間違ってもラップトップなんて持たずに)。今もまだ、もくろんでいる途中だけれど。


【8月21日:英語力】
必死に改稿して出した論文が受理され、よかった…と安堵。しかし自分の主要な業績が立て続けに英語論文、というのはいかがなものか。おとなしく日本語で書けばいいものを、自分で自分の首を絞めているような気が…。

英文は書けば書くほど筆が乗ってくる、はずもなく、自分がいかに稚拙な表現をしているのかを自覚しつつ書き進めるのは苦行に近い。

英語力といえば、親友Kが仕事で「ぎょう虫検査の方法を外国人に英語で、しかも電話で説明しなければならない」という、爆笑の(かつシリアスな)場面に遭遇した件。ねえ、説明できる?と問われて、あっさり降参。実践的な英語力を試すにはいいかもしれないけど、いろんな意味でレベルが高すぎる(笑。


【8月28日:まつたけ】
8月の仕事に「だいたい」目途がついたところで、一気に熱を出す。相変わらず、わかりやすい身体だ。でもこういうセンサーを大切にしなくちゃいけないと、年々痛感する。というか熱を出す前に感知するべきところを、黙殺して仕事した私が悪いのです。身体ちゃん、ごめんよ。

丸2日間、昏々と眠り続けたら、だいぶ身体が軽くなった。久々にたくさんの夢を見て、そして次々と忘れていった。

コーヒーを飲もうとしてクリームのパッケージにふと目を止めたら(普段ほとんど見ないけれど)、いつも花と花言葉が書いてあるそれに

「まつたけ」「花言葉:控え目」

と書いてあって、シュールさにおののく。もしもし、それはキノコではありませんか?という質問も受け付けないような、毅然としたまつたけの写真がそこに。

無性にキノコが食べたくなる。