追憶、その他

5月と6月は「原稿or仕事〆切のリレー」に追われるうちにすぎていき、あっというまに夏!!
(かんづめ→〆切1つめ→脱力→かんづめ→〆切2つめ→呆然→かんづめ→〆切3つめ→朦朧→1つめの仕事のリライト指令→半泣き・・・以下省略・・・な日々でしたの)


そして気づけば、ハワイから戻ってもう1年が経とうとしている。「ハワイいいなあ」とか「日本よりあっちに戻りたいでしょう?」とか、帰国してからはあれこれ山のように言われたのですが、「うーん、まあ...」という冴えない返答が多かった私。


眩しい海も、大きな樹の木陰に吹きよせる風も、気さくなロコ達も、カラフルな鳥たちも、花々の甘い香りも、あつあつのマラサダ(揚げパンみたいなやつね)も、ハワイではいろんなものがキラキラしていて


キューバと車とバイクの免許を取ったり、ボディボードや釣りやゴルフに出かけたり、フラダンスやタヒチアンダンスを習ったり、ビーチでBBQしたり(こうして列挙すると満喫していた感が満載だ。苦笑)


そんな愛おしい諸々の記憶を持ちながらも、「じゃあまたハワイに暮らしたい?」と尋ねられたら、やっぱり「うーむ...。」となってしまうのは、アメリカ嫌いや(根本的!)、都会への苦手意識や(ホノルルを都会と感じる私は一体なんなんだ)、留学生活トラウマや(ほぼ英語力の問題だけど)、そんな感情が未だにぐるぐると渦巻いているからだと思う。


アメリカに限らず多くの場所でそうなのかもしれないけど、初めての海外在住のなかで、「個人」の境界線の引きかたや、それに伴って生じる「責任」の所在や、それらの定義の日本との違いにごく普通に戸惑った。


特に大学組織という環境に身を置いていたこともあり、周囲はまるで「私はmatured individualなのですよ」「professionalなのですよ」と言わんばかりに「これができます、あれも知ってます」と言い合っていて、その内容のうすっぺらさに失笑したり、実際に何かを頼めば「それは私の仕事の範疇ではない」と反応されたり、幻滅することも多かった。


失笑しているうちはまだ良いのだが、大学を含むあらゆる生活の場面のなかで何かミスが降ってきたとき、その組織を相手にクレームせざるを得ない場面が多く、クレームする自分というものにうんざりだった。他人とのトラブルは穏便に回避したいタイプの私が、アメリカの郵便局にも、アマゾンにも、電話会社にも、税務署にも、大学にも、さまざまに抗議したんだもの。あり得ない。けれど抗議しないと進まないのだ、何も。


そこで体得したのは、ふるまいというのはやっぱり環境の要請で作られていくのだなあ、という単純な帰結。日本で暮らしていたら、きっとこんなにクレームすることなんてないまま一生を終えた気がする(そういえば中国を旅していたときも切符一枚購入することから既にバトルだったわ)。


一歩外に出れば戦闘態勢でないと生きていけない社会、なんて誰も心底望んでいるはずないのに、そのシステムが回りつづけ、強者と弱者を振り分けつづけていく。「何かがおかしい」と感じるその違和感は、ネオリベ的な空気のなかで黙殺されてしまう。それなら君も戦って、勝てばいいじゃないか、というロジック。


そんなシステムへの嫌悪感を覚えつつ、けれど大学や学問という制度(あるいは権力装置)のなかで生きる以上は何らかの形でそのシステムに加担しているのだし、私の答えは煮え切らない。


ということでこの煮え切らなさは次回へとつづく。次は人類学の不可能性についてのお話。