Invisible others could be visible

ひとつの仕事を終えてもまたすぐ次がやってきて、
無限のループのような気がして、
くらくらと、心が折れそうになる。


でも自分が携わっている国の、こういうニュースを見てしまうと、がんばらざるをえない。


トンガ王国からの義捐金の寄付」↓
http://www.ton.emb-japan.go.jp/japanese/TONKIFU_j.htm


億とか兆とか、幸か不幸かそんな単位に馴れつつある最近の私たちからしたら、900万円なんて正直ちっぽけに思えるかもしれないけど、でも、

国土は対馬くらいしかなくて
人口は10万人しかいなくて
GDPは世界の185カ国中「180位」で(その世銀統計では日本は2位)

そんな海の向こうのちっちゃな島国の人たちがおそらく必死に集めてくれた900万円は、とても大きい。


別に、この話に限らず

私たちが気にかけていない人たちが
私たちのことを想ってくれている

というのはよくある話で
そのあたりのことがきちんとわかっていると
みんなもうちょっと生きやすくなるんじゃないかと思う。
自省をこめて書いてみる。そんな今日このごろ。

脳内トリップ:NY編

あまりにも更新が滞っていてみなさまに安否の確認をされてしまうので(4月はちょっと不調でしたが5月からはほぼ元気)、そして締め切り間近の原稿がなかなか書きあがらずそんなときほど逃避行したくなるので(それをすると今回はいろんな人に迷惑がかかるので無理)、どうどうどう、と自分をなだめるべく、ちょうど1年前にふらりとでかけたニューヨーク一人旅の写真など載せてみます。


騙されろ、自分。
ということで、さあ出発!


そのときわたしは「ハワイからやってきた田舎娘」だったので都会にどぎまぎ


「ベーグルスタンドがあるわっ」


「なんだかワンコでさえハワイと違っておしゃれだわっ」


1日中MOMAで過ごして満足してみたり


ジャコメッティさんに導かれお散歩はつづく


不思議なおじさん1登場


不思議なおじさん2登場


ふらふらと難易度の高いお土産を買いそうになったりもして


でもぐっとがまん。(大人になったものだ)


グラウンドゼロはメモリアルミュージアムの建設中。
あえて何も建築しないほうが思想があると思うんだけどね。


海からマンハッタンを見たくてフェリーに乗ってみるも


ダンディーな船長が気になってしまう。


・・・以上、ダイジェストでお届けしました。


結論:やっぱり旅に出たい・・・

こんなときは

東北関東大震災から1週間。
こんな短い期間に、異なる土地で、大震災の黙祷を2回も捧げることになってしまうなんて、思ってもみなかった。


その午後、私はニュージーランドから帰国すべく成田に飛んでいた。日本上空付近まで来たとき、着陸ができないので上空で待機します、というアナウンスが入った。


乗務員が飴を配り、水を配り、安心してください大丈夫ですからねというアナウンスが過剰に流れ続けたので、「これはかなりマズい事態になっているんだろうな」と察した。


乗客をパニックに陥らせるわけにはいかないのだし、空の上の乗務員たちにも断片的な情報しか入っていないのだから仕方ないのだけれど、そのとき耳に入ってきたわずかな情報は、悪いイマジネーションをめぐらせるのに十分なものだった。


「広域で大地震/M8.8/成田空港封鎖」


実家が成田に近いので親の安否を案じたとともに、最悪の場合、自分はほとんど身寄りもないので1人になってしまうんだな、とぼんやり覚悟した。これからどう生きていこうか、とさえも。


飛行機はその後、関空緊急着陸し、空港は人びとで溢れた。慌てて充電した携帯から数十回発信し続けた電話でやっと親との連絡が取れて安堵したものの、テレビの映しだす被災地の惨状はとても日本のものとは思えず、息をのんだ。


それから一週間が過ぎた今でも、まるで鉛のようなものが自分の奥底に存在し続けてているような、そんな重苦しさがあることに気づいて、少し驚く。ただ遠くから、主に家族と友人の安否を気遣っているだけの立場にある私でさえも、だ。


そしてこの気分は多くの人びとが共有しているのではないかと思う。私のなかの鉛はおそらくかなりちっぽけな部類に入り、あの瞬間から、もっと大きな、ごろごろした鉛を抱え込んでしまった人がたくさんいるのだろう。


こんなときはどんな自分の言葉も空虚に響き、無力感に苛まれてしまう。周囲を見わたしても、ニュースの更新や支援活動についてなど実際的な情報は多く飛び交っていても、それ以外の内容でまとまった文章を書く人や、自分の感情を吐露する人が激減してしまった気がする。日本を覆う重たい沈黙を、肌で感じた。


その一方で、こうした困難に立ち向かう心理の結果として、「日本人」や「我々」を主語として、正義や理念を語る言説が増えた。けれどそれは「私」を主語として語られる言葉とは、性質を異にする。またそれは「私」の無力さを痛感していること、「私」が不安で寂しいこと、の裏返しかもしれない。


今のワタシは、大きな声で歌ったり、くだらないことで無邪気に笑ったり、誰かに寄り添ってぐっすり眠ったりしたい。


大義名分、とかではなくて、
「私」の言葉を、
他愛もない願望や、小さなワガママや、くだらない冗談を、奔放に言い合える、
そんな日常が、少しでも早く訪れますように。
私にも。あなたにも。


Friday Night

生まれて初めてのラグビー観戦。
出稼ぎ滞在中のトンガのみなさんに誘われたんですけどね。



カンタベリーのチームであるCrusadersは、地震後初の試合ということで気合十分。選手の家族も被災者だということで、観客から多くの寄付金が寄せられていました。



グラウンドはチームカラーの赤一色。対戦相手(オーストラリアのチーム)には申し訳ないけれど、愛国心をかきたてられたこのタイミングでKiwiたちが熱狂しないはずがない。



それに便乗してトンガのおばちゃんたちも大盛り上がり!
といってもルールの理解度は私と大差なかったと思うんだけどなあ。(「ボールどこどこ?」「今度はこっちに攻めるんだね?」と確認しあうような素人で本当にすみません…。)


そのうえ試合後に選手たちがファンサービスで回ってきたときの、ミーハー/熱狂っぷりといったら激しくて、私は一人で爆笑してました。



真剣な表情で後ろを振り返っているおばちゃんたちの台詞:「誰か、サインもらうからマジック持ってないのっ??」


素人なりに楽しんだラグビー観戦だったけれど、やっぱりナショナルチームAll Blacksと、試合前の闘志溢れるHaka(マオリの戦士の踊り)が生で見たいんだよなあ。それを見れるのはいつの日なんでしょうか。

Two Minutes' Silence

一昨日の正午過ぎ、カンタベリー地震から1週間が経ったことから、NZ国内全域で被害者への黙祷が捧げられた。


ネルソンの町もまた、その2分間は静寂そのものだった。
私もランチを中断し、カフェの人びとと共に黙祷。


2分という時間の中で自分の胸に去来したことを言語化するのは難しいのだけれど、結局のところ私たちは「こちら側の世界」にまだ取り置かれているのだから、その皮膚にあたたかな温もりやひりひりとした痛みを感じながら、歩んでいくしかないということだ。


そして日々は続く。




嵐の訪れを感じる日も




燃えるような夕暮れの日も。

Brown or Green?

宿で久しぶりに日本人の女の子に出会い「こんにちは」と挨拶したら、開口一番「この部屋に住んでいるんですか?」と尋ねられてしまい、乙女心がわずかに凹みました。一体私はどんな姿に映っているんでしょうか…。あらゆる場所にすぐ馴染むのはフィールドワーカーとして重要な資質ではありますが…そして私は猫のようにどこでもくつろいでしまいますが…それにしても…。


本日の表題は食事について。私は食べることも料理することも好きで、それが人生において占めるウェイトも大きいほうだと思うので(単にエンゲル係数が高いという説もある)、周りの人たちが何を食べているか結構気になってしまう。今も自炊もしながら宿泊しているのだが、つくづく感じるのは、欧米人はどうして「茶系」を食べる人々と「緑系」を食べる人々にくっきり二分されがちなんだろう、ということ。


私が「茶色いごはん」と言うのは、小麦+肉+芋、的なごはん。ピザやハンバーガーなど、ジャンクフードと言われがちな食事。そしてその対極にあるのがベジタリアンや、オーガニックライフを送る人々の「緑色のごはん」、ほぼサラダ、あるいはフルーツのような食事。


食は、それぞれの土地の環境と文化・宗教・思想的要因とが組み合わさって形づくられる。また現代において、ジャンク/ヘルシーの選択の差異には明らかに、経済格差が絡んでいる。「1日30品目イデオロギー」も、もちろん栄養的な観点から目標値として提示されるのは結構だが、その実現可能性を考えたとき、特定地域の、そして富裕層のみに手が届くことを忘れてはならない。


私のフィールドも含め、PNGなど南太平洋の広範囲において、ニュージーランド産羊肉の「食べるに値しないような」あるいは「廃棄寸前の」脂ぎった部位が流通し、どんなにそれが「不健康」であったとしても、人びとは安価なその肉を食べるしかない、という事実がある。またこの地域では、小麦や動物性油脂や砂糖が、比較的安価な食料として伝統食を凌駕し、その結果多くの人びとが糖尿病に陥っている。私もフィールドワーク中は、ホストファミリーと完全に同じ食生活を送っていたために1ヶ月=1キロのペースで太り、この身をもって、世界の食環境というものを考えさせられた。


結局のところこの地球上では今もなお、食の選択肢が限られた中で生きる人びとが大半を占めている。そんななか、豊かな選択肢がありながら、肉ばかりを頬張る人や、野菜ばかりを食べる人を見ると、雑食アジア人気質の自分としては、まるでblack or whiteのように極端だなあと思ってしまう。それは「都市=先進国」からここNZに「自然」を感じるためにはるばるやってくるメンタリティとも重なっている気がする。日本の里山のように、人間社会と自然とが区分されない曖昧さおよび所与のものとしての「共生の感覚」は、なかなか理解されないのだろうか。



散々語った挙句、最後に伝えたいニュースは、「Timtamにベリー味があるよ!!」という、今日の発見。オーストラリア+ニュージーランド+パシフィック諸国にいた人たちにしか共感してもらえないであろう軽い興奮です(ちなみにパシフィックでは私の知る限り魅惑的な高級菓子として君臨しています)。ハワイにいたKiwi(NZ出身者)の友達が、スーパーでTimtam見つけたの!と興奮しながら分けてくれたことを思い出すなあ。この興奮をなかなか分かちあえないんですよね…(まあ今日はむりやり押しつけますが)。


私はこうやって雑食で生きていくのです…。

ネルソンにて。

色々とご心配をおかけするタイミングになってしまいましたが、無事にニュージーランド南島の小都市、ネルソンにやってきました。クライストチャーチは不幸なことに予想以上の被害を生んでおり、NZでも連日大きく報道され続けています(ちなみにこちらでは地方名をとってカンタベリー地震と呼ばれています)。というわけで、私も必然的に気を引き締めての出発となりました。



オークランドからちょっと小さめのプロペラ機に乗り込み(かつて2列シートかつ年季の入った飛行機に乗ったときに比べれば、4列シートに安定感さえ感じます)、低空飛行ならではの景色を楽しみつつ・・・



ネルソンへ。
ね、見るからに牧歌的な、平和な町でしょう。小鳥がさえずり、ちょうちょがひらひらと舞い、小川が流れて。海と山に囲まれた温暖な土地、しかも今は爽やかな夏、ということで、バカンスにやってくる観光客がたくさん。私もこれが完全なバカンスだったらいいのに・・・と思うことしきり。


久々にバックパッカーズプレイスに宿泊していると、様々な人たちとの出会いがあり、一人旅(厳密には一人調査)でも飽きることがなくてよいです。それにしても女性率&ヨーロピアン率(しかも何故かドイツ人率)の高さが目立って驚き。「歩き方」に載っている場所には日本人ばかりがいて「ロンプラ」にしか載っていない場所では白人率が上がる、というのが観光地の相場だから、同じような要因なのかなあ。


ときどき北米出身者が話しているのを聞くと、おっ、と耳が反応してしまいます。そのくらい、あたりを飛び交うNZ英語(Kiwi English)はイギリス英語が更に変化を遂げたものなので、「耳慣れない言葉」に聞こえるのです。ところでいつも、イギリス英語っぽく話さなきゃ、と思うと、つい口元が力んで、眉間にシワが寄ってしまうのは私だけでしょうか・・・。


この週末は調査のアポを取りつつ、今月締め切りの仕事を仕上げつつ(涙)過ごして、来週から本格的に始動します。