A Midsummer Night's Dream

粛々とオフィスにて仕事に励む午前2時...
QOLってなんだっけ。危険。忘れてしまいそうだ。


真夏なんだし、夜なんだし、悪戯好きの妖精でもなんでもいいから、眠気覚ましに出てきてよう...と頭のネジが緩み始めたところで


「虹」をエンドレスリピートしてアドレナリンを出す。

そんな夜。

ひよっこ授業の備忘録(後編)

さっさと書かないと加速度的に忘却しちゃうよ自分!
ってことで後編。


教科書選びの段階では何十冊ものサンプルを取り寄せ(講師として問い合わせるとぞくぞくとサンプルを送ってくれるアメリカの学術出版社はすごい。そして不要になった大半の本はアマゾンで売り払ってちゃっかりお小遣いにしたひよっこ。。。)それらをざーっと見て2冊をピックアップ。


Taylor&Bogdan
Introduction to Qualitative Research Methods

Introduction to Qualitative Research Methods


Emerson,Fretz&Shaw
Writing Ethnographic Fieldnotes

Writing Ethnographic Fieldnotes (Chicago Guides to Writing, Editing & Publishing)


この2冊はとてもシンプルに、なおかつ体系的に質的調査や参与観察の方法論を教えてくれていて、使いやすかった。(後者は邦訳「方法としてのフィールドノート」も出ているようです。)


とにかくこの授業で私が伝えたかったのは、優れた観察や分析をしたり、民族誌を書いたりすることは、決してセンスのある人だけに可能なことではないよ、体系的に学べば誰にでも(ある程度までは)できるんだよ!ということ。そしてその方法も、魔法のように一瞬にしてできあがるわけではなく、step by stepで積みあげていくんだよ!ということ。


自分も今までこうやって丁寧に教わってきたから・・・ではなくて、私もこんな風に教えて欲しかったですけど!先生方!という気持ち(不満?)をこめての授業でした。


そうして教科書を使っての講義もしたのだけど、何よりもこの授業のメインディッシュは「実際に参与観察してフィールドノートを書いてプチ民族誌として学期末に提出する」というプロセス。


もちろん時間的な制約もあったので、大学から徒歩10分くらいのマーケットに全員を連れて行き、とにかく自分が興味をもった人びとや出来事をしっかり観察してノートに取っておいで!と、遠足のような実習をした。現場をきちんと見る、ということが何よりも大切なので、週に1度はその実習の時間を作った。


彼らのフィールドノートを全てチェックしてコメントをつけ、また学生同士でも授業内にそのノートを批評しあったり良いところを学びあったりした。並行して学ぶ教科書の方法論を参照しながら進めていき、徐々にデータを整理して、自分の関心、テーマに沿って出来事を記述していく。私も個々の学生との面談を重ね、なんとか最後のプチ民族誌が完成するよう、できる限りの相談に乗った。


一連のプロセスを数週間で仕上げるのだから生徒たちも本当に大変だったと思うけれど、最後のレポートは私も唸るような素晴らしいものがたくさんあって、ああ何かを得てくれたなら本当によかった!と嬉しくなった。


マーケット内に野菜売りの露店商として来ている人びとが、自分の子どもたちを遊ばせながら仕事をしているのだけれど、よく見ると実は周囲の人たちが目をかけて育てていて、いかにその空間が大家族のように機能しているか、とか、


ここには皆が買い物しに来ると思いきや、ずっと観察すると実は何をするあてもなくやってきて、ぼんやりとベンチに座って過ごす人びとが多いことを指摘し、そういった人びとがどのように自分の時間・空間を確保したり、人びとと挨拶しあったりしてこの場を利用しているか、とか、


学生たちのプチ民族誌はどれも丁寧な観察と記述ができていて、読みごたえがあった。同じ空間のなかでそれぞれ記録した成果が、ここまで多様なのは嬉しい驚きだった。個々の学生がまったく違った関心を持ってまとめあげたことで、私自身、現実世界の重層性に改めて気づかされた。


普段の生活で「あたりまえ」に存在しているその場所が、意識や物の見方を少し変えて、丁寧な記録とデータ整理を行うことで、「あたらしく、おもしろい」空間に変容する。普段なら見過ごしてしまうような些細な出来事に、注意深く目を向ければ、心を動かされることもあり、愛おしいものが増えていく。


科目であるとか履修単位であるとか、そういうことを抜きにして、素晴らしかった、面白かった、とメールを書いてきてくれた学生たちがいたことに、ひよっこ講師はとても励まされました。この経験が彼らの人生を少しでもカラフルにするのなら、ひよっこ冥利に尽きる、と思うのです。そしてこんなふうに、人類学にも社会学にも直接には縁のない人生を送っていくみなさんにも、ひよっこなりに貢献できたらいいなと思うのです。

ひよっこ授業の備忘録(前編)

さいきん自分の教職歴について尋ねられることがあったのだけど、答えようとしたらかなり忘れかけていたので、備忘録として。どたばたひよっこ授業inハワイ。


1年前、ハワイから帰国する直前の夏のセメスターで、ひとつ授業を受け持っていた。大学ではじめてまともに教えた授業が「海外で、英語で、学部の3、4年生向けで、ライティングに特化した集中コース」というのは、国内のひよっこ同業者ならわかってくれると思うが、かなり異常事態だ。


講師に応募し、若干緊張の面持ちで面接に行くと、「下心のあるサンタクロースinアロハシャツ」のような学部長が登場したので脱力。少しでも緊張した自分を悔やんだ。
やたら饒舌な彼としばらく世間話に花を咲かせた後、ようやく本題に移ったかと思えば「君なら大丈夫だよho!ho!ho!」と、瞬く間に応募していたのとは別の授業を割り振られてしまった。(表現に若干の誇張がありますが気になさらず。)


そんな成り行きで担当することになってしまった授業は、確実に自分のキャパシティを越えており、とにかく私はひいひい言い続けていた。約6週間に渡って、連日の授業だったんだもの。毎日ですよ、ま、い、に、ち。
そのなかにちょこちょこと小テストがあり、提出物があり、中間試験があり、期末のペーパーがある、という学生にとっても講師にとってもハードな日々。


Analysis in Field Research Methods(フィールド調査法の分析)というタイトルのそのコースに参加していたのは、社会学専攻の学生が中心で、「質的調査って何?参与観察ってどうやるの?」という基本的な手法を、演習形式で教えるものだった。
演習なのでクラスの規模は小さく、学生も10人ほどで、とてもアットホームな雰囲気が幸いだった。その10人の生徒も、白人、黒人、ハワイアン、中国系、フィリピン系、という構成で、まさにハワイの縮図のような多様性。


使用するテキストから授業の構成から、課題から採点基準から、とにかく全てを自分で決めなくてはならず、またいわゆる教科書に加えて映像資料などいろんな「ネタ」を仕込んでおかなければ、ノンネイティブの自分がスムーズに授業を進められる自信もなかったので、準備が大変だった。
you tubeにもお世話になりましたよ、ええ。(日本語ではまだ少ないけれど、you tubeは研究者のインタビューや講演、大学の講義など、アカデミックな素材の宝庫なのです。授業マテリアルとしても有用でした。)


なんだか導入部だけで長くなってしまったから、今日はこのへんで。実際のひよっこ授業の全貌は次回につづく。

脳内トリップ:「海」編

仕事の予定を勘案すると、8月末までまともな夏休みが取れないことが判明した今日この頃…わたしのなつやすみが…うう…。


京都の暮らしは快適だけれど、海から遠いのが難点。ただぼんやり眺めるだけでいいから、時折でいいから、ひよっこは海に行きたいのです。


ということで恒例の?自分癒し企画、脳内トリップ「海」編です。これまで撮り貯めた写真からいろんな海をセレクト。



まずはホノルルの海。一望するとけっこう都会。



そしてトンガの海。素朴な風が吹いてくる。



ニウエという島は絶海の孤島と呼ぶにふさわしかった。



沖縄本島残波岬あたりの砂浜。というか私の足ですけど。


海の色や空の色や砂の色や、さまざまなものが、
こうして改めて比べてみると、それぞれに美しい。
実際に飛び込んでみれば、水の温度も塩辛ささえも違っていて、
やっぱりいいなあ、と思う。

ぺしゃんこからの復活と内省

相変わらず締め切りギリギリまでかかってしまう仕事の遅いひよっこのわたくし。徹夜で原稿を書きあげて送信ボタンをクリック、そこで仮眠したら起きられる自信がなかったので、そのままナチュラルハイの勢いにまかせて早朝出勤したある日。


オフィスに着いてしばらくしたら、数ヶ月前に投稿していた論文の査読コメントを着信したので読みはじめた。結果から言うと全体的に辛口(辛さ5段階の4くらい)で、あれも直せこれも書き足せと批判の集中砲火を浴び、打ちのめされてしばらく呆然とする。ぺしゃんこ、というかべっこべこにされたひよっこ


殴られたら快感を覚えるくらいのマゾっぷりが必要な業種だったかしらこの仕事…?と徹夜明けの回らない頭で考えつつ、で、どうしたらよいのですか?果たしてこれは数週間で書き直せるのですか?いっそのことリジェクトされたほうが楽だったのではありませんか?と、とりとめもない思いが駆け巡る。


すると数時間後、編集の先生方からのなぐさめ&救いの手の連絡があったので、書き直しの方針について相談させていただく。優しい人たちがいて良かった…捨てる神あれば拾う神あり…立て、立つんだひよっこ


結局はなんとか改稿しましょう、ということになり、がんばってみることに。そうやって落ち着いてから改めて査読結果を読み直してみると、2つあったうち1つの文章は、なんだか言葉の端々にネガティブなエネルギーが渦巻いていて、ああ私を打ちのめした原因はこれだったのか、と気付く。批判的なコメントを受けるのが初めてな訳もなく、どうして今回ここまでグッタリしたのか、自分でもよくわからなかったのだ。


なんていうか、ただポンと踏んでいるだけではなく、その後にかかとでグリグリと踏みにじっているような、そんな意図を感じてしまったのよね。


決してリップサービスではなく、自分の仕事が批判されることは大歓迎、と普段から思っている。それがひよっこレベルにあることのメリットだし、叱られず何も指摘してもらえなくなってしまったらそれこそ怖い。


けれど理不尽な、自分にはよくわからない悪意のようなもの、に対して、私はめっきり弱い。理不尽なのだから相手の方が悪い、気にするべきじゃない、と頭ではわかっていても、そういう負のエネルギーに当てられてしまうと、一気に弱ってしまって、回復に時間がかかる。へなへなと崩れ落ちる。


言葉を扱う仕事に携わる人たちは、それが持つ威力を熟知しているから、そしてそれを操る能力も持ち合わせているから、とても怖いと改めて思う。言葉の端々に、サブリミナル効果のように不可知なレベルで、諸々の感情をすべりこませてしまう。だから言葉はいとも簡単に私たちを救いあげたり、絶望の淵に突き落としたりする。


私自身も、若気の至りで自意識に満ちた言葉を振りかざし、身近な人を翻弄していた頃とは違って、素朴だけれど洗練されていて、それでいて温かみのあるような、そんな言葉の使い手になりたいと最近は切に願う。それは美辞麗句を書き連ねることとも異なっているから、とても難しい。


そんな優しさと美しさを手に入れたい。とりあえずは、言葉の次元から。

人類学の不可能性と人類の可能性

「大学で研究をしています」と自己紹介すると必ず「ご専門は?」と問われる。うーやっぱり聞かれちゃうのねと思いつつ、相手の顔色をうかがいつつ、「人類学です」と答える。そこで「なるほど」という反応を得られることなんて10回に1回も起こらないと思う。


たいていの場合、「オセアニア地域のことを...」「現地調査などして...」「文化や社会について...」と慌てて付け加える。言葉を補って初めて「ああそういう事ね」という表情をする人がぐんと増える。それでもきっと、彼らが思い描いた「そういうこと」と、実際に私がしていることとの間には大きなギャップがあるんだろうなと思いながらも、会話は次へと進んでいってしまう。私のなかの軽くもやもやした気分を取り残したままに。


そんな自分も大学に入るまでこの学問分野の存在すらよく知らなかったので、こうした世間一般の認知度については特に驚かない。けれどこれと同じような反応をアメリカで得たときは、さすがにこの状況は良くないなあ、と思った。人類学 =anthropologyなので、「人類」という察知可能な語を含む日本語とは異なり、言葉自体にまったく馴染みがないのかもしれない。


この状況も人類学が盛んなヨーロッパ諸国では異なるのか(イギリス、フランス、オランダ、ノルウェーあたりがとりあえず思いつく)、気になるところ。ノルウェーでは国の偉大な人物リストに人類学者の名が当然のごとく挙がると聞いた。


日本でも最近は[梅棹忠夫回顧展@みんぱく]がかなり盛況だったようで、人類学とはふだん無縁であろう多くの来場者が来ていたことに感心したし、私自身も新たな気づきがあり面白い展覧会だった。「文明」や「人類の未来」に対する時代の危惧感と呼応したこともあるが、やはり京都系知のカリスマの一人としての圧倒的な知名度を再認識。


ここでひよっこ人類学者として、「今こそ人類学という学問の認知度を上げなければ!」という使命感に駆られ、その可能性を謳いあげるのはひとつの方法かもしれないが、私はむしろその不可能性(orダークサイド©スターウォーズ)について冷徹に見極めていく事こそ、結果的に人類の可能性を開いていくのではないかと思う。


311震災後の語りのなかで活発になってきたのは、文明のほころびや歪みを直視しなければならないという自省や、人類の「発展観」に対する懐疑だった。


一方で科学が提示し続けるのは、人類の叡智が生みだす無限の可能性であり、それにはまず「科学/学問の可能性」を謳いあげることが先決だった。ネガティブな側面から目を背け、ポジティブな「成果」ばかりが強調されていくのは、その存在理由を対外的にアピールする上でやむを得ない戦略かもしれないが、結果的に失われたものは少なくない。


私の研究対象もそうだけれど、世界の「周縁」に生きる(とされる)人びとの生活や、制度をしなやかに受け止め自らのものとして飼いならす人びとの底力や、単純な論理や倫理では語り尽くせない人間社会の豊穣さ(それは単に美化されるのではなくイヤラしさ、狡さ、なども含めて)にここまで寄り添っていく学問なんて他に類を見ない。


そんな人類学が見せる様々な「オルタナティブな世界像(純粋にユートピア的ではなくて)」は、多くの説明不可能性を孕んでいて、人間の「わからなさ」がくっきりと浮かび上がってくる。それはひるがえって、「わかる」に満ちあふれキレイゴトで進もうとする権力や制度に対し、あらゆる角度から警鐘を鳴らすことができる...そう信じてやっているひよっこなのです。

追憶、その他

5月と6月は「原稿or仕事〆切のリレー」に追われるうちにすぎていき、あっというまに夏!!
(かんづめ→〆切1つめ→脱力→かんづめ→〆切2つめ→呆然→かんづめ→〆切3つめ→朦朧→1つめの仕事のリライト指令→半泣き・・・以下省略・・・な日々でしたの)


そして気づけば、ハワイから戻ってもう1年が経とうとしている。「ハワイいいなあ」とか「日本よりあっちに戻りたいでしょう?」とか、帰国してからはあれこれ山のように言われたのですが、「うーん、まあ...」という冴えない返答が多かった私。


眩しい海も、大きな樹の木陰に吹きよせる風も、気さくなロコ達も、カラフルな鳥たちも、花々の甘い香りも、あつあつのマラサダ(揚げパンみたいなやつね)も、ハワイではいろんなものがキラキラしていて


キューバと車とバイクの免許を取ったり、ボディボードや釣りやゴルフに出かけたり、フラダンスやタヒチアンダンスを習ったり、ビーチでBBQしたり(こうして列挙すると満喫していた感が満載だ。苦笑)


そんな愛おしい諸々の記憶を持ちながらも、「じゃあまたハワイに暮らしたい?」と尋ねられたら、やっぱり「うーむ...。」となってしまうのは、アメリカ嫌いや(根本的!)、都会への苦手意識や(ホノルルを都会と感じる私は一体なんなんだ)、留学生活トラウマや(ほぼ英語力の問題だけど)、そんな感情が未だにぐるぐると渦巻いているからだと思う。


アメリカに限らず多くの場所でそうなのかもしれないけど、初めての海外在住のなかで、「個人」の境界線の引きかたや、それに伴って生じる「責任」の所在や、それらの定義の日本との違いにごく普通に戸惑った。


特に大学組織という環境に身を置いていたこともあり、周囲はまるで「私はmatured individualなのですよ」「professionalなのですよ」と言わんばかりに「これができます、あれも知ってます」と言い合っていて、その内容のうすっぺらさに失笑したり、実際に何かを頼めば「それは私の仕事の範疇ではない」と反応されたり、幻滅することも多かった。


失笑しているうちはまだ良いのだが、大学を含むあらゆる生活の場面のなかで何かミスが降ってきたとき、その組織を相手にクレームせざるを得ない場面が多く、クレームする自分というものにうんざりだった。他人とのトラブルは穏便に回避したいタイプの私が、アメリカの郵便局にも、アマゾンにも、電話会社にも、税務署にも、大学にも、さまざまに抗議したんだもの。あり得ない。けれど抗議しないと進まないのだ、何も。


そこで体得したのは、ふるまいというのはやっぱり環境の要請で作られていくのだなあ、という単純な帰結。日本で暮らしていたら、きっとこんなにクレームすることなんてないまま一生を終えた気がする(そういえば中国を旅していたときも切符一枚購入することから既にバトルだったわ)。


一歩外に出れば戦闘態勢でないと生きていけない社会、なんて誰も心底望んでいるはずないのに、そのシステムが回りつづけ、強者と弱者を振り分けつづけていく。「何かがおかしい」と感じるその違和感は、ネオリベ的な空気のなかで黙殺されてしまう。それなら君も戦って、勝てばいいじゃないか、というロジック。


そんなシステムへの嫌悪感を覚えつつ、けれど大学や学問という制度(あるいは権力装置)のなかで生きる以上は何らかの形でそのシステムに加担しているのだし、私の答えは煮え切らない。


ということでこの煮え切らなさは次回へとつづく。次は人類学の不可能性についてのお話。